●プロローグ:1909年 | ||||
上海1909年(明治42年)2月、列強諸国の租借する「租界」があった上海で、麻薬に関する世界で初めての政府間会議「万国阿片委員会」が開かれた。国際麻薬規制の始まりである。参加国はアメリカ、中国、フランス、ドイツ、イギリス、日本、オランダ、ポルトガル、ロシア、シャム、ペルシャ、オーストリア‐ハンガリー、イタリアの13か国。 ここに今日に至る長く困難な道のりへの第1歩が踏み出された。 |
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会議の場として上海が選ばれたのは、当時の国際的な麻薬犯罪組織が絡む麻薬密売のほとんどが上海を経由して行われていためである。それも外国人居留地であった租界が舞台として使われることが多かった。 | ||||
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麻薬密輸業者は例えばヨーロッパで医療用に製薬業者が製造した麻薬を「横流し」した後、あちこちを経由して目的地へ密輸していた。彼らは汚職官吏に賄賂を渡し巧妙な隠ぺい方法、文書偽造、暗号による通信などを駆使し既に高度に組織化されていた。日本人が関与していたケースも多くあった。 | ||||
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第1回の上海阿片会議では、阿片のみならず、それから採れるモルヒネさらにはコカインについての国際規制も討議された。そしてこれが1912年にオランダのハーグで麻薬を規制する初めての条約へとつながっていくのである。 |
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