私は国連職員時代から、麻薬・覚せい剤乱用防止センターの創立当初より関わって参りました。
その後、30年ぶりに日本へ戻り、理事を経て、現在は理事長として、当センターを統括しています。
このたび、私どものニュースレターを、ウェブサイト上で刊行するにあたり、シリーズで少しずつお話しいたしたいと考えました。まず我々が思い起こすべきことがあります。今から半世紀前、国際社会は条約を改正してまで、薬物乱用を“防止”することが最も重要である、との意思を表明しました。
1912年から始まった、国際薬物規制の条約体制の進化は、1961年の「麻薬に関する単一条約」として実を結びました。その後、この条約は1972年に改正され、その中に第38条がありました。
改正前、38条のタイトルは「中毒者に対する措置」となっていました。出発点は、麻薬“中毒”だったのです。国際社会はそれを「濫用に対する措置」と置き換え、まず「濫用の“防止”に特別の考慮」を払うべきだとしました。
その防止に加え、さらに早期発見、治療、教育、アフターケア、更生から社会復帰に至るまで、あらゆる措置をとることを定めました。条約締約国相互の協力を義務付けたのです。“乱用防止”を第一にし、それぞれの段階が、不可欠かつ重要であるということです。
かつて、薬物乱用防止の標語は、不幸にして乱用を始めてしまった人たちへ向けてのものばかりでした。
そこで初めて、薬物に手を染めていない人々を対象にする標語が創られました。それこそが“薬物乱用は「ダメ。ゼッタイ。」”だったのです。お母さんが子どもに、「ダメよ。そんなことをしては」と言い、子どもがそれに応えるといった、愛情のこもった親子の会話のように、と創始者たちは考えました。だからこの標語は、不幸にして薬物依存に陥ってしまった人たちに対してではなく、始めていない人たちへの呼びかけであったわけです。
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「覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか。」といった昔の標語の延長ではなくて、全く新しい発想からだったのです。その事実を、今ここで改めて思い起こしていただきたい。だからこそ、同時に「愛する自分を大切に」という双子の標語も生まれたわけですから。
“ダメ。ゼッタイ。”と言っても、やる人はやる、などという意見を吐く人たちがいるそうです。もしそうであったとしても、だからこそ、乱用防止の努力が必要不可欠なのではないでしょうか。
たとえば、“犯罪”は人の世の中から無くならないかもしれません。しかしそうだからといって、人は犯罪防止の努力を放棄するのでしょうか。そもそも、標語を言いっぱなしで済むことではありません。特に若者たちが自分自身の頭で考えられるようにするにはどうしなければならないか、模索し続ける他はありません。“答え”はひとつではないのです。
もしも若者たちがその置かれている状況から薬物に逃げたいと思うときに、それを押しとどめるには、あらゆる角度から手を差し伸べなければならないではないでしょうか。そして、半世紀前、国際社会が確固たる意思を表明したことを、今我々は思い起こし、その原点に立ち戻るときです。
この話には続きがあります。これは、またお話しいたしましょう。
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